乞う人
急に電話があって、父が来るという。
生きていてくれた。元気でいたんだ。
去年の7月に言葉を交わして以来だから、実に8ヶ月ぶり。
正直なところ、半分くらいは「もう一生連絡がないかもしれない」と思っていた。
でも、会えたねえ。
母のために「会わない」という選択もあったのだけど、
連絡が来るとやっぱり会ってしまう。
親子だからなあ。
中国から帰ってきた彼は、顔色もよく、元気そうに見えた。
脚はひょこひょこ、おぼつかない足取りだったけれど、
それでも生死の境をさまよったあの頃を考えると、今の姿は信じられないくらい。
意識が戻っただけでも、びっくりだった。
手が動いて、痺れていた足も少し動かせるようになって、退院した。
何より記憶や行動に何も破綻がない。入院前と変わらないのが、不思議なくらいだった。
そして、1年ぶりに会った彼は、歩いている。
すぐに息が上がってしまい、ぜいぜいするけれど、歩いている。
馬籠宿の急な坂道を登ることさえできた。
肌のつやもよく、白髪も減ったような気がする。
今、笑って私の目の前にいる。
あいかわらず弾丸トークで、自分のことばかり喋っていたけれど、
うん、うん、と聴きに徹してしまった。
現代中国事情・・・テレビや新聞から得る情報とは違う。
もちろん、自分の目で見たものとは違う。父個人の主観というものが多少入っているだろうが、それでも「これは真実だろうか?」と疑ってかかることはない。
蕎麦屋で、喫茶店で、食事やお茶の合間に切れ切れに話してくれた「現代中国の生活風景」を、忘れないうちに記しておこうと思う。
(ちと長いかもですよ~~)
浅春
季節はもう一度めぐって来た。
雪柳に南天。
枝先の雪を一つまみ、口の中に放り込んだら、
一瞬、無味無臭。次の瞬間、雪の味が広がった。・・・ってあたりまえか(笑)。 他の何ものでもない、雪の味でした。
蕾をつけた水仙も寒そうにしている。
このまま春にまっしぐら!かと思っていたけど、とうとう来たね、この寒波。近所の人は皆、タイヤ交換を済ませたと言っていたし、「もう降らんわ」と言われていたけど、換えなくてよかった!
とはいえ、路面にはもうすでに雪はないのだけれど(笑)。
冬タイヤでよかったというのは、今日は久しぶりの開田行きだから。つれあいの額縁の材料を仕入れに、懐かしい開田高原へ!・・・仕事というより、ハイキング&ドライブだな^^
私たちが住んでいた3年前まで、高原の春は雪に包まれていた。こっちは融けても、さすがに開田は積もっているでしょう!期待に胸ふくらませて出かけました。
有松~石釜パンのお店
昨日の晩は、満月だった。
流れる雲を、月が照らす。
月の光を浴びて立ったまま、しばらく空を見上げていた。
川からも、池からも、水音が響いてくる。
私の耳は、流れの音で満たされる。
それでも、まだ半分。
ひと雨降って、水かさが増せば、流れの音も倍になるだろう。
そうしたら、耳は溺れてしまうだろうか。
X day
10年来の友人は絵を描く人で、
先週末はその友人にくっついて、名古屋市内の個展会場へ行ってきた。
土曜の夜はクロージングパーティー。
たくさんの人に囲まれて、いつもよりふわふわした感じの彼女。
よく見ると、床から5センチくらい浮いていた。
お疲れさん。
搬出は無事、終わりましたか。
あしたの光
家からわずか1分のところにある護摩堂。
久しぶりにここに立つ。
去年の春、大風で倒れてしまった桜の株の上から、
街並みを眺める。
すぐ隣に立っている桜の木は、倒れた桜をずっと見ていた目撃者。
そのとき、どんな気持ちだったろう。
不安になるほど暖かかった冬を越して、もうすぐ春がやってくる。
まだ蕾は固いけれど、今年、どんな花を咲かせてくれるだろうか。
空が淡く染まってきた。
昼から夜へと、
透明な空気をまとったまま、
時間は移り変わっていく。
今日の日よ、さようなら。
梅にはまだ早く、
唯一見つけることのできた樹花。
今日最後の、やわらかな夕陽を浴びていた。