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乞う人

急に電話があって、父が来るという。

生きていてくれた。元気でいたんだ。

去年の7月に言葉を交わして以来だから、実に8ヶ月ぶり。

正直なところ、半分くらいは「もう一生連絡がないかもしれない」と思っていた。

 

 

でも、会えたねえ。

母のために「会わない」という選択もあったのだけど、

連絡が来るとやっぱり会ってしまう。

親子だからなあ。

 

 

中国から帰ってきた彼は、顔色もよく、元気そうに見えた。

脚はひょこひょこ、おぼつかない足取りだったけれど、

それでも生死の境をさまよったあの頃を考えると、今の姿は信じられないくらい。

意識が戻っただけでも、びっくりだった。

手が動いて、痺れていた足も少し動かせるようになって、退院した。

何より記憶や行動に何も破綻がない。入院前と変わらないのが、不思議なくらいだった。

 

そして、1年ぶりに会った彼は、歩いている。

すぐに息が上がってしまい、ぜいぜいするけれど、歩いている。

馬籠宿の急な坂道を登ることさえできた。

肌のつやもよく、白髪も減ったような気がする。

今、笑って私の目の前にいる。

 

 

あいかわらず弾丸トークで、自分のことばかり喋っていたけれど、

うん、うん、と聴きに徹してしまった。

現代中国事情・・・テレビや新聞から得る情報とは違う。

もちろん、自分の目で見たものとは違う。父個人の主観というものが多少入っているだろうが、それでも「これは真実だろうか?」と疑ってかかることはない。

蕎麦屋で、喫茶店で、食事やお茶の合間に切れ切れに話してくれた「現代中国の生活風景」を、忘れないうちに記しておこうと思う。

(ちと長いかもですよ~~) 


 

中国に渡ったのは、第一に治療が目的だった。長期間の療養が必要なため、中国語を学ぶ学生として彼はそこに滞在した。大学生の父の食卓は、もちろん学食。

「学食の麻婆豆腐が2元なんだよ」(1元=およそ15円)

「ご飯が0.5元で、〇〇が〇元で、4~5元あれば2人でお腹いっぱい食べられる」

嬉々として話す彼を見ていると、幼い日、私も中国から帰ってきて同じコトを報告していたなあ、と思い出す。

「アイスクリームが6円だって!」「お米が10キロ30円だって!」

食べられる、というのは私たち親子にとって、この上ない「幸せ」なことなのだ。物価が安い=いっぱい食べられる、と想像するだけで幸せな気持ちになった。

 

 

物価の安い印象のある中国だが、都市には高層ビルが立ち並び、巨大デパートの売り場は人であふれている。家電製品も飛ぶように売れ、スーパーには溢れんばかりの食料品が並ぶ。

今や近代国家と呼ぶにふさわしい発展した都市であり、見た目にはとても豊かに見える。

金を持った人、余裕のある都市生活者たちが、そうした消費を煽っており、高級車、高級食材、ブランド品、宝石などを買いあさっているのだそうだ。

「昔はミカンなんて不味かったのにねえ、今何でもおいしいんだよ。輸入物の高級フルーツが山のようにあって、それをみんなどんどん買ってくんだよ。すごいよ」

「スーツなんかでもね、日本だと今、1万円とかで買えちゃうでしょ。中国では4~5万くらいかな。だから、僕の知ってる人なんかは日本で買うほうが安いからって、日本に来て中国製のものを買ったらいいって言ってるよ」

 

中国の人口およそ14億人。世界の人口が65億くらいだから、なんと5分の1にあたる。そのうち、およそ5%が富裕層だと言われている。

日本の人口およそ1億3千万人。比してみればよくわかるけど、それだけの人々がお金をつかいまくったら、すごいことだろうなあ。

 

 

そして、ケーザイの話には、もれなくカンキョウの話がついてくる。

工場廃水等の垂れ流しによる河川の汚染が進み、「今、生水なんか飲めないよ」という状況らしい。

今、進んでいる環境汚染。あれだけの人口の国で、ものごとが一つの方向に向かってダーーッと進んだら、歯止めもないまま進んでしまったら、どうなるか。

その及ぼす影響は一国にとどまらない。想像はできるけれど、実際その目で見ると、怖さは倍増するだろうな。

果ては土壌汚染、海洋汚染・・・。影響は甚大だろう。

 

急速に進む砂漠化も目をそらせない問題で、30年後には北京は砂漠になっているだろうとさえ言われている。

遊牧民の暮らしてきた草原が、20~30年前と比べて半分以下に失われ、砂漠化していると聞いたときはショックだった。北京オリンピックの後、彼の地は砂漠の砂に埋もれてしまうのか・・・。

 

日本のまさに「高度経済成長期」にあたる頃なのか。でもその人口を考えると、経済成長の早さを考えると、絶対に絶対にこのまま進んでいいわけはないの。

・・・と、日本人が言ったところで、「お前の国は潤っていい思いをしたくせに、こっちの経済成長はさせない気か!」と言われれば、言葉を失ってしまう。

それでも、歯止めはかけなければならない、と思うのだけど。さて、どうしたらよいものか。

 

 

 

それから彼は、「格差」の話をした。

 

農村の人々が、貧しい村を捨てて、都市に流れ出している。

そこでも貧しい層に属していることに変わりはないのだけれど。

 

今、都市の発展を支えているのは「農民工」と呼ばれる人たちの存在だそうだ。

中国が経済発展の道をひた走り出して間もなく、農村からの出稼ぎが急増した。ある者はその中で成功を収めたが、出稼ぎ者たちは当時「盲流」と呼ばれ、都市住民からさげすまれていた。

今やその出稼ぎ者、「農民工」なくして発展はありえない。建設業や飲食業の下支えをしている。

なんだか呼び方が変わっただけのようにも思えるのだが、どうなんだろう。農村の人々を都合よく使って、実質は格差を拡げているだけではないんだろうか。

 

出稼ぎ者が増え続けている背景には、一つには戸籍の問題がある。中国には「都市戸籍」と「農村戸籍」があって、都市に住む人は「都市戸籍」を、農村に住む人は「農村戸籍」を持っている。そして、これらの戸籍を自由に変更することはできない。

つまり戸籍によって住む場所が決められているのだ。8~9億いるといわれる農村の人たちは、基本的に都市で生活することはできない。その例外として、「出稼ぎ」があるのだが、それも短い期間に限られている。

 

都市と農村の間には、高い高い壁がある。

生活を豊かにするために、都市部で働きたい。しかし、農村戸籍なので住むことはできない。

生活を豊かにするために、高等教育を受けたい。しかし、お金がなくて受けられない。

選択肢がないのだ。

 

農村が豊かであれば、都市生活への憬れはあっても、なんとかそこで暮らすことはできる。だが、砂漠化が進んでいる中国の土地が、さほど肥沃なものとは思えない。

必死につくった農作物も安い値段でたたかれて、手元に残るのはわずかなお金だけ。これでは食べていけない。

 

都市戸籍を持つ人と農村戸籍を持つ人の収入格差がどれほどのものなのか。きっとそれは、自助努力などというものでは埋まるはずのない格差なのだ。 

都市と農村の格差。都市の中での格差。農村間の格差。農民どうしの格差。埋まらない格差の中で、農村は疲弊しきって、日に何十件、何百件と争議行動が起こっているという。

 

 

 

 

それから、

何年か前にくらべて、「物乞いがものすごく多くなった」そうなのだ。

夫婦や親子で田舎の村から出稼ぎのように出てきて、

夫は手づくりの竹製の胡弓を弾き、

妻は障がいを持った子を抱いて、

娘は「直訴文」(自分の家庭はこんなに貧しい、こんなに悲惨だと訴える内容)を書いて、地にひれ伏すくらい頭を下げて、

お金を恵んでもらうという。

 

田舎では、一日1元あればギリギリ生きていける。

だが、何もない村で、農業も疲弊している状況で、1元の金を稼ぎ出すことがどれほど大変か。

街ならば、こうして頭を下げれば、観光客らから簡単に同情の1元2元を手に入れられる。

そんな話なのだが・・・。

 

 

手が異常に細い「障がい者」が多く、

どうやらそれは纏足のようにわざと(職業的に)手を細くしているのではないか、というのだ。

手足の切断さえも、「仕事のため」と考えなければ納得できないほど、多すぎる、のだそうだ。

もちろん、全部が全部そうではないのだろうけど。

 

 

夕方、商売が終わる頃になると、日中は他人、知らないふりを装っていた者たちが、ニコニコと隣り合った人と、話をしている。

さっきまで具合が悪そうに突っ伏していた者までが立ち上がり、

「〇〇は冷たいけど、××の人はやさしい」

なんて情報交換が行われているらしい。

そうしてまた、都市を移動して行くんだろう。 

 

小さな子どもたちも花束を手に、

ほとんど押し付けるようにして、売りつけてくる。

 

 

「物乞い」が職業化してしまった社会。

そしてまた、ホームレスが急増する各都市で、その風景が見慣れたものとなる頃、

オリンピックがやってくる。

そのとき、風景は底辺で生きる人々とともに、

「一掃」されてしまうんだろうか。

 

 

 

 

 

沈んでいった太陽のほうへ、2機の飛行機が向かっていった。 

手前の小さな飛行機と、

後から猛スピードで追いかけるジャンボジェット。

ジャンボはまもなく手前の飛行機をとらえるだろう。

 

赤い大きな太陽が沈んでいった、同じその場所へ、

猛然と飛び込んでいく。

機内から、あの夕焼けはどんなふうに見えるんだろう。

眩しすぎて、目がくらんでいないだろうか。 

 

 


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toro

お父様。お元気になられてなによりです。いろんな想いはおありでしょうが
生きてこそ、ということがありますものね。
中国。社会主義の資本主義という摩訶不思議な現象は、この後どうなって
いくのだろう…と思っています。
他の社会主義国もそうです。ベトナムとか。
社会主義に市場原理を持ち込むことによる矛盾というのは、日本以上に
格差を生むだけで、だいたい社会主義に生きていて、何で市場での売買が
できるのか…意味が分かりません^^;
まー、ぬくぬくと生き延びたい誰かがいるということは確かでしょう。
踏み台になるのは何億もの人。
本当の豊かさとは何だろうと、思わずにはいられません。
by toro (2007-03-15 08:30) 

kaz-i

幸せってナンだろう、と考えるのは
まだ余裕があるからなのでしょうか?
チャン・イーモウの99年の映画「あの子を探して」
を思い出しました。
by kaz-i (2007-03-15 14:53) 

むらさき

しがらみの中で格闘しているのは人間だけ? と時々思いながら
長い時をすごしてきたような気がします。
それも生きてる証拠かもしれないですね。

 小さくも大きくも「転ばぬ先の杖」というわけにも行かないのですね。
日本が経済成長の末、大きな負の部分を背負ってしまったのと同じ
事を、韓国や中国も繰り返して行くような気がします。
人間に欲がある限り、止められないことなのでしょうね。

向上してきたと信じていることがほんとは蜃気楼のようなもので
あるかもしれないのに・・・・・・・・。
同じところをめぐっているだけかもですね。







 
by むらさき (2007-03-16 00:03) 

こーさん

toroさん、
ありがとうございます。
何もわかっていないくせに、自分の目で見ていないくせに、聞きかじったことをつなぎ合わせた文を書いてしまい恥じています。
それでも父の口から聞いたことを、記憶に留めるために残しておきたいと思いました。
社会主義、ユートピアのように語られた社会も今は幻想。ほんとに、どこへ行くのでしょうか。

>社会主義に市場原理を持ち込むことによる矛盾というのは、日本以上に
格差を生むだけで、

格差は埋まることはないでしょうね。今、各地で争議が起こっていますが、いつか、何かがドカンと崩壊するような気がします。
居住権の自由がない社会、自由にものが言えない社会。
基本的な人権が、個人の権利が保障されるのは、その何かが壊れた後なんでしょうか。



kaz-iさん、
ありがとうございます。
>幸せってナンだろう、と考えるのは
>まだ余裕があるからなのでしょうか?
生きるためにそれしか方法がなければ、その場を生き延びるために、どんなことでもやってしまうかもしれません。
考える余裕があるというのは、まだ、選択肢が残されているということなんでしょうか。
少なくとも、それを口に出して言うことができるのは、まだましなんだろうなと思います。
だからこそ、言葉を奪われないよう、言い続けたいです。
『あの子を探して』、まだ観てません・・・。


むらさきさん、
ありがとうございます。
むらさきさんの言葉、和尚さまの説教を聴いているような気持ちになりました。
自分が何ものであるかを知らないのは、人間だけかもしれませんね。
それにしても、人間の欲というものは、なんと際限ないものなんでしょうか。
わかっていても、止められないのですね。とことんまでいくのかなあ。「そこまで愚かじゃない」と信じたいけれど。
・・・さて、まずは我が身です。
by こーさん (2007-03-16 12:31) 

mamire

お父様と会うことができたのですね。
きっと、伝えたいことがいっぱいあったのでしょうね。

まだ、のし上がれることのできた時代の日本に生まれたことに感謝したい。
中国の格差はほんとにどうにもならないもののようです。
外語大に留学していた学生さんから聞きました。
留学生と聞いたので豊かな身分の方なのかとも思ったけど、仕送りゼロでバイトに明け暮れて生活していました。

日本だって、ただ自分は知らないだけで、格差が開きつつありますね。
今の時代の格差は、なかなかのし上がれません。
by mamire (2007-03-17 18:42) 

そして、お父様は中国へ帰ってか、行ってか・・・しまわれたのですね。
もう、古い本になりますが『ワイルド・スワン』、下巻は吐きそうになりながら読んで、それ以来、中国が嫌いになりました。
もちろん、文化革命の時代と今は違うでしょうが。

むらさきさんのおっしゃること、よく分かります。
欲もさることながら、持つ者が持たざる者への優越感とか、卑下や差別。
いつの世も人を支配するものですね。

中国の環境問題は地球を脅かすものです。
その先に、幸せはないんだよ~~。
ブータンのような国がいいな~。日本も国民総幸福量を以って、いい国か、悪い国か・・・を判断してほしいな。
by (2007-03-17 23:20) 

こーさん

mamireさん、
ありがとうございます。
はい。喋るだけ喋って、帰って行きました(笑)。またいつ会えることやら。

我が家はおそらく人様に言うとびっくりされるくらいの収入ですが、それでも、ごはんが食べられるんだもの!借金はゼロだが貯金もゼロ。将来に不安は多々ありますが、日々の中に幸せはたくさんある、と納得して暮らしています。たぶん、田舎の自然のおかげです。

留学生さん、苦労なさってるようですね。
豊かさを求めて日本に留学する若者も多いようですが、生活に追われているうちに、学校からはドロップアウトしてしまう人も少なくありません。日本語学校ではいつもそれが問題となっていました。
もちろん、真剣に勉強に来ている学生はたくさんいると思います。でも、どうしようもなくて逃げてきた人もいるのでしょう。今になって強くそう思います。



こぎんさん、
ありがとうございます。
父は、一応歩けるまでに回復し、エセ学生は中国語もろくに喋れないうちに終了いたしました。
『ワイルド・スワン』かあ・・・。話題本だったのに読んでません。そうですか、吐きそうになりましたか。今は、どうなんでしょうね。指導者(という言いかたもイヤ)はましになったという声も聞きますが、格差はどーんどん開いているようですが。

ブータンの「国民総幸福量」いいですよね~~。GNPで幸せは量れないもの。・・・となると、あれですか?正月はもちろん、式典のときなんかはみんな着物かなあ?うーん。浴衣で精一杯の私なんかは、相当練習を積まなければ・・・。

ギリギリのところで生きている人は、たくさんいるんだと思います。たぶんその人にも幸せはあるはずなんだけど。それが見えない中で生きるのは、つらいことだろうなあと思います。
経済成長のスピードをコントロールするブータンのような知恵を持たないと、ほんとにこの先どうなることやら。
by こーさん (2007-03-20 15:06) 

お父さん、元気になられてよかったです。
そして、逢いに来てくれたんですね。 向かい合って話をしている様子を
想像したら、なんだかうれしくなってきました。
親子の絆は切れないのだわ。

中国を支配した歴代国家は昔から金儲け大好きで、
何千年も格差バンバンの社会だったのが、
たまたま時流に乗った社会主義思想に導かれた勢力が実権を握って
極端な社会主義を推し進めてどうしようもなくなったのですよね。
考えてみれば、社会主義の時代なんてたかが何十年、100年にも満たない。
どうしようも無くなったから部分的に資本主義を取り入れるという
おかしな政策がまかり通っているのも、
歴史を見れば大いに納得してしまいます。
どちらにしろ中国とインド、
彼らの動向が地球全体の未来を左右するというのは
避けられない事実(なんたって併せて24億人)なのでしょうね・・・
格差をなくそうという思想であったはずの社会主義のなれの果て。
by (2007-03-22 01:52) 

こーさん

nadiさん、
ありがとうございます。
これでまた、母にヒミツができてしまいました。彼女を守ろうとすれば、絆を断たなければならないし・・・、迷いながら会っています。

中国とインド、どちらも若いときに訪れる機会がありました。
広い、広い、大陸を長い時間かけて移動しました。
海のような川を渡りました。
中国では小旗を振られ、インドでは首にレイをかけてもらいました。
中国の子どもたちとは卓球をし、インドの子どもたちとは鬼ごっこをしました。
滞在した村ではご飯を一緒に食べ、具合の悪い日は「お母さん」に膝枕をしてもらい、頭をなでてもらったこともありました。
大好きだった。
ゆえに、2つの国のゆくえが気になります。
by こーさん (2007-03-22 09:53) 

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