SSブログ

未来の仕事

(えーと。あまり脈絡のない「世迷言」です。本当にヒマな方、読んでも後悔しない方だけどうぞ。)

 

今年に入ってからずっと考え続けているんだけれど、未だに答えが出ないのだ。もうじき不惑の歳となるというのに・・・。ちっとも不惑なんかじゃありゃあせん。迷ってばかりだ。いろいろな本を読んだり、人に話を聞いたり、触発されながら考えている。未来を思い描く。

 

 

 

仕事を辞めて、はやふた月。相変わらず引きこもっている。「引きこもり」といっても、正月は実家に帰ってたし、友だちに会いに行ったり、買い物に行ったりはするので、完全に家から出ないわけではない。私の場合、近所に対して引きこもっている。だから、「ちょっとそこまで」散歩に行くこともなくなった。

「仕事してないの?」とすぐ聞かれてしまうほど、みんな実に働き者で、無職でいることに罪悪感を感じるうえに、その後「何で?」がつくのだ。「何で辞めたの?」「病院行ってるの?」「どこまで?」「何の病気?」・・・

ううーー。おせっかい焼きで噂好きの人たちがきらいではないけれど、お願い、そっとしといてくれい!の心境なのである。

体調はすっかりいいのだが、実はまだ出血がダラダラ続き、病院にも通っている。そのために、必要以上にナーバスになってしまっているのだろう。しかし、このモヤモヤを打開するためにも、そろそろ次の仕事を・・・と思っている。

 

 

ところが、だ。この「好景気」のはずの世の中に、探そうとすると、なかなかこれ、というものがない(あたりまえか^^)。考えてみれば、今までは「縁」で仕事に就いていたようなもんだった。前職の介護の仕事にしても、ある日突然、家に施設長が訪ねてきた。

「うちで働かない?」

見覚えのない彼女が玄関先にニコニコと立っていたときは、宗教の勧誘か?とさすがに一瞬身構えた。

越してきて最初にアルバイトした和菓子屋も、友人に「おいしいらしい!」と噂を聞いて買い物したのがきっかけだった。

「だったら、うちで働いてよ」

その場で即決。いい方に拾われた。

長野のK村にいたときも、岐阜のK村にいたときも、なんだかんだで声をかけていただいて、仕事にありついていた。まず最初に人の縁があり、それが仕事につながっていた。

だから、いざ自分で探すとなると、迷って迷って、立ち往生してしまうのだ。情けなや・・・。「社会」に求められている「条件」と、自分の能力が合致しない。つまりはできることが少ないんだよね。これまで運のいいことに、この手の条件にぶち当たることも少なかった。この歳にして、あまりにも社会の仕組みを知らないという厳然たる事実に突き当たる。。。結局、仕事の縁がないということは、裏を返せばまわりの人との縁をつないでなかった、ということでもあるんだろうなあ。

これから、私に何ができるだろうか・・・。

 

               ***

     

未来を思い描く。数十年後の未来。

そこに、自分の姿がないのだ。いくら考えても見えてこない。ばあさんになって、茶をすすっているはずの私が見えないんだなあ。(またずいぶんと飛んでしまったよ~^^)

おそらく、年金制度は破綻か、残っても相当厳しいものになっているだろう。今、経済的にアップアップの生活をしている私が、果たしてばあさんになったとき、暮らしていけるのだろうか。「生きる」ために最低限の「食べる」という行為が、可能だろうか。介護保険制度なんてのも、どんなふうに変わっていくんだろう。

 

 

ぐるぐると、思いは廻る。

介護保険で介護が変わった。・・・らしい。

らしい、というのは措置制度の時代をよく知らないからだが、「様々なサービスを利用して、そのひとらしい生活を送ることができる」というのは本当だろうか。実際はたくさんのハードル(条件)があると思うんだけれど。

 

ひとつ、聞いた話。

要介護1の彼は足が悪く、歩行や立ち上がり時にふらつきがあった。介護保険でベッドをレンタルしていたが、制度見直しによって利用できなくなり、ベッドは引き取られていった。

仕方なく、市販のベッドを購入し使用していたが、高さが合わなかった(高さ調節はできない)。あるとき、立ち上がろうとしてバランスを崩し転倒、足を骨折した。介護度が要介護1から3となり、再びベッド(おそらく同じもの)をレンタルした・・・。

なんだかな~~と思うような話。在宅支援、予防介護、と言いながら、実におそまつ。今まで必要だったものを、どうして継続して利用できないのかな~。制度見直しであとから条件付けしたものを、杓子定規にあてはめなきゃならないのか。サービスを選択するはずが、実は制度によって選択されているというのはおかしくないか?介護保険は何のためにあるのだろう。

 

               ***

 

短い間だが施設で働いてみて、やはり皆「家に帰りたいのだ」と思った。今は亡き105歳のおばあさんが、食事や排泄の介助に行くたびに「お盆には家に帰らせてください」と手を合わせた。90歳近くになるのに、いまだに田畑が心配でしょうがない方もいた。ほとんどの人にとって、家は特別なものだと思う。

私だったら、どんなピカピカの施設で幸せに暮らすより、家でグータラ(私の場合ね)したいなあ。それがいちばん気楽でいい。

だが、在宅で介護するために支える仕組みが決定的に欠けている。家族がまず介護するべきだ、という圧力がまだまだ大きいし、それでは介護地獄に陥ってしまう。

「介護はプロに」とスローガンのように言われている一方で、実際に専門的介護を受けようとすると、今の保険制度の下ではお金がかかりすぎる。十分な介護をしようとすると、たとえ介護度が高くとも月10万円で足りないこともあるという。(現在、月々10万で二人暮ししている我が家にとって、目の前が真っ暗になる恐ろしい話である)。長生きするな、と言わんばかりだ。結局、大金を払えない家族に介護の負担が押し寄せる。

「介護はプロに」と言うとき、イメージしやすいのは施設介護だが、本当に必要なのは、在宅でも安心して専門的介護を受けられるしくみではないかなあ。お金持ちじゃないと払えないような金額じゃなくて、「ふつうの生活」をしても暮らしていけるようなしくみをつくる。そのためにはどうしたらいいんだろう?

 

               *** 

 

今、未来のために、仕事をしたいと切実に思う。(ちょっと思うのが遅いんだけどね~)。そういうふうに仕事をしてはじめて、数十年後の自分の姿が想像できる気もするし・・・。

いみじくも、年末の日記に対するコメントで、toroさんが言ってくれた。生まれる前に命を終えた子が、「何かを教えに来てくれたのかも」と。おそらく、もう子どもを生むことはないのだろうけど、それでもオトナである以上、今の子どもたちに対して責任があると思うんだよねー。

明るい、希望のもてる未来。子どものときからそんな未来を切望していたが、行けば行くほど、行き止まりの迷路に思えてくる。それでも、ま、人間の一生なんてそんなもん。無知だった自分を反省しつつ、考えて行動しようと思う。まずは、できることから。

(これからどうしよう~、と毎日考え続けて、頭の中がぐちゃぐちゃです。が、少しだけ霧が晴れてきました。引きこもりの世迷言に、長々とお付き合い、ありがとう~~)。

 

 

そうそう、年明けに屋久島に行ってきました。原生林の中で静かに過ごした時間は、今も周囲にひっそりとまとわりつくように残っています。また、こちらのほうも折を見てお話させてください。

 

 

 

目を閉じて思うのは、屋久島の苔の森。

深い森の巨大な樹々を支えている巨大な根っこ。

そうだ、根っこだ。

根を張って生きている樹々は美しい。今年も去年と同じように花を咲かせ、葉を茂らせ、実を落とし、また芽吹きを迎える。そうして、だんだんとその森をひろげている。

地の下に、樹上に、あらゆる場所に、

根をはりめぐらせ、思いをめぐらせ、

触れ合った手と手をつなぎ、根と根をからませ、

 

そうすれば生きていける。

弱くても、生きていける。

 


nice!(5)  コメント(12) 

nice! 5

コメント 12

toro

「ぼちぼちいきましょう」。。。自分にも言い聞かせているわけなんですが、働いてきた人間が仕事を辞めたとき、なんとも言えない負い目を感じるのは
いずこも同じですよ~。
「フリー宣言」をしてから6年が経ちますが、もうほとんど仕事がこなくなり、専業主婦状態になりました。でも、お金にはカンタンに結びつかないけれど、また別の方面からの仕事が浮かび上がりつつあります。
とりあえず、この6年間は「種まき」をしたんだと思って、いま重い腰をあげていますよー。
きっとこーさんにも、そんなときが来るんじゃないかな。焦らないでね~。
世の中は嫌なことだらけでね、頭を抱えたくなるし、やりきれなくもなるし、
投げやりになりたくもなるけど、そうもいかず。
地に足をつけて、しっかりと進んでいきたいなと思います。
屋久島の樹木のようにね。
by toro (2007-02-01 13:30) 

むらさき

トンネルの向こうに光が見えてきたのですね。
良かったですぅ!
何があっても、人間って浮力があるみたいで、沈むところまで
沈むと後は浮くしかないみたいです。

私も、そんな思いを一杯して生きてきました。
それでも そこそこ良い人生って思っています。
大丈夫 大丈夫!!
(私 たぶん こーさんのお母さんくらいの年代)
by むらさき (2007-02-02 11:22) 

タックン

こんばんは。
仕事は、たぶんやる気になったときに向こうからやってきますよ。
引きこもる時間も必要だけど、やっぱり人と係わることが、
自分を未知の世界に導いてくれるような気がします。
先が予測出来ないから生きていけるということもありますよね。
とにかく、今日を、今を生きようと思っています(私の場合^^)。
早く体調が回復するといいですね。
by タックン (2007-02-02 23:36) 

Gotton Factory

お久しぶりです。お加減いかがですか?
こーさんは今はきっとお休みが必要な時期なんですよ。それが済んだら仕事が舞い込んでくると思いますよ。
私も常勤の仕事をやめて3年が経ちましたが、昨年はアルバイトで図書司書をしました。でも今年はどうするかで今悩んでいます。
この際流れに身を任すかなんて思ってもいます。

介護の問題は難しいですね。私の住むところではデイケアに行っている人が多いようで、送り迎えの車をよく見ます。
保育園児のように朝行って夕方帰るのがいいかもしれないなんて思います。そして時々ショートステイ。
いくら家族でも1人や2人でずっと見れるものではないと思うので…。
はやくいい制度になっていって欲しいなと思います。
by Gotton Factory (2007-02-03 21:53) 

こーさん

toroさん、
うわ~~~。勢いで書いたのはいいけれど、あらためて読み返すと恥ずかしいですねー。せっぱ詰まった感が・・・。
ぼちぼち行きます^^
実は、これを書いている時点で、だいぶ方向性が固まってきてたのですが、ここ数日、「その道のプロ」に話を聞いたりして、次第に確実なものになってきました。
遅まきながら、看護師を目指そうと思います。とりあえず、今年1年は仕事をしながら受験勉強に励むつもりです。
はっはー。こんな宣言しちゃっていいんでしょうかねー(笑)。ま、くじけたら笑ってやってください。
いろんなきっかけが背中を押してくれたと思っていますが、toroさんの言葉にもずいぶんと助けられてます。いつも、いつも、ありがとうございます。
toroさんは、ジャーナリスト??物を書く人ですよね?
これからも世の中のおかしなことには、容赦なく平手打ちかましてください。
by こーさん (2007-02-04 00:07) 

こーさん

むらさきさん、
ありがとうございます。
「大丈夫」って言ってもらえると、それだけでホッとします。
大きなことば。
お母さんに抱かれているみたい(笑)。

どん底までは沈んでないと思うのですが、
小さなノーミソで悩んだかいはありました。
母も歩んだ道なのですが、遅まきながら看護学校に行こうと思います。
不惑からの出発です!
by こーさん (2007-02-04 00:21) 

こーさん

タックンさん、
たくさんの人との出会いがあって、たくさんのきっかけがあって、
それが今全部つながって、背中を押してくれてる感じなのです。
幼い頃、母の職場で感じた思い。
父の病床で出会った看護のプロたち。
震災後の神戸で、一緒に安否確認をしてまわった訪問看護師さん。
特養で日々、みんなの天使であり続けた看護師さん。
すてきな人たちに囲まれていたなあ、と今さらながらに思います。

> 先が予測出来ないから生きていける

そうかもしれませんね。「今」を自分らしく生きて、「素敵な人生だった~」と言いながら茶を飲みたいです。
by こーさん (2007-02-04 00:35) 

こーさん

Gottonさん、
お久しぶりです。
> お加減いかがですか?
精神的には、とても元気になってきました。
肉体的には、とても太ってきて困っています^^

「お休み」中にだいぶ根を詰めて考えたおかげで、
今、目の前に一本の道がぱあーーって見えてきました。
今はこの道をまっすぐ歩いていくことしか考えていませんが、
本当に迷ったり悩んだりするのは、これからかもしれませんね。

昨年、Gottonさんが図書司書のお仕事を・・・と聞いたとき、子どもと本がそばにある光景が浮かんで、イメージにピッタリだなあと思いました。
本の読み聞かせや、ちょっとピアノを弾いたり、そんなこともできるといいですね。

> 介護の問題は難しいですね。
デイケア、ショートステイ、24時間態勢の訪問看護(介護)など、サービスの選択は多様かもしれませんが、現状ではこれを十分(必要な分)活用しようとすると、お金がかかりすぎ、結局家族にしわ寄せが行ってしまいます。この在宅介護を支援するしくみがもっと整ってほしいです。
(いらんところに金使おてるんやないか~?と思えてなりません)。
by こーさん (2007-02-04 01:00) 

本当は少し前に読んではいたんだけど・・・何て書いたらいいのか・・・、すごく考えちゃっていたの。私って、励まし下手で・・・。
昨日は楽しかったようで、コメントを読んで、私も嬉しくなっちゃった。
看護師を目指すって、これまた、びっくら! 
偉いよ。人には向き不向きってあって、私は福祉関係や医療関係って、できない。でも、人が困った時って、親切に、温かくされると、心の芯から嬉しいし、温かい気持ちになれる・・・こーさんは、きっとその資質があると思います。
こーさんの決心を、応援しています。
屋久島の樹林、凄いね。自然界にあるもののように、素朴にシンプルに生きていきたいです。
by (2007-02-04 16:47) 

こーさん

こぎんさん、
ありがとうございます。いや~すんません。悩ませちゃって。
ぐるぐる頭の中をまわっている「モヤモヤ」を、脈絡なくえいっ、えいっと吐き出していったので(ガス抜きですね)、今読んでも、自分でも??の扱いづらいシロモノです。こんなもんへコメントしようと思ってくださること自体が申し訳ないくらいです。

ほんとにねー、えらい宣言しちゃいましたが・・・(笑)。
空に散らばってるたくさんの星の中から、一つなり二つなりを選ぶわけですからねー。そのとき、その人にとって輝いて見えた星が、その人の進む道になるんですよね。
星をつかむことは簡単じゃないかもしれないし、ときには見失うこともあるかもしれないけど、なんとかがんばってみます。

> 自然界にあるもののように、素朴にシンプルに生きていきたいです。
うん。そんなふうに生きたいなあ。
by こーさん (2007-02-05 14:03) 

すごーく遅いコメントですいません。
私にとってもとても身につまされる内容でした。
私など一度出戻ってきていて、再婚していないし、子供もいない。
普段は脳天気ですが、ごくたまに未来のことを考えると、
底の見えない沼の淵を覗き込んでいるようで目眩がすることがあります。
それでも今できることを、今やることが大切なのだと思いながら
日々を生きております。
不惑なんていったい誰が言ったんでしょうね~(笑)

こーさんの未来の仕事。遠いところからだけれど、応援しています。
by (2007-02-12 15:03) 

こーさん

nadiさん、
ありがとうございます。
ほんと、未来は底なし沼・・・くらくらしますね(笑)。
5年後の自分が、どこでどんな暮らしをしているかなんて、想像もつかない!まだまだ惑い続けることでしょう。
でも、先が見えないからいいんですよね。

> 今できることを、今やる

そう、結局人は今しか生きられないんですもんね。
今やらないことは、過去にも未来にもない。
そう思って、あせりながらもコツコツと、中学生の算数から始めています。未来のために^^
不惑の(!)四十代は、いい仕事といい恋がしたいなあ。
by こーさん (2007-02-14 00:11) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

冬鳥雲の誘い ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。